2024年4月17日水曜日

病院へ、検査予約

 15日、2017年12月以来の春日部市立医療センター循環器内科に行った。4週間毎に通院している医院の医師の紹介状を持参して、ほぼ6年半ぶりとなる、前回と同じ女医さんの心雑音の診察を受ける。前回に比して高音が聞こえもするし、少しは進んでいるようだとの診断の下、軽度ではあるけれどエコー検査をしようとのこと、ついでにCT検査もやりますかと問われそれも受けることとした。今月30日にエコーとCTの検査を行い、その結果は翌月の20日となり、両者を予約しておいた。
 心配性の自分のことだから、以前だと少しは不安な心境に陥るのであるが、年齢を重ねたことによる諦めなのか、はたまた考えても自分で結論を出せないものは考えないこととすると言う知恵が備わったのか、淡淡としている。自覚症状もないし、まぁ自身の身体のメカニックの予防保全だと思っている。何か補修が必要になったら、パーツ交換ということは出来ないからそれなりの対処をするしかないであろう。
 病院は混んでいる。循環器内科はさほど混んでおらず20-30分待って診察に入ったが、受付から担当医が決まるまで45分くらいで、会計に30分ほど待たされる。来院している人の数も多いが、スタッフの女性たちの多忙さは異常とも感じた。的確には言えないけれど何か非効率的で、患者の数とスタッフの数がアンマッチであるように見えた。結局は患者を待たせることになるのだが、これが通常のことならば対処すべきであろう。

 猪苗代のBaNaのログハウスからLINEが来た。会津で花見をやっている6人が集まっての酒宴。飲んでいる銘酒を数本見せられ、もしかしたらこっちに届くかもしれないからそっちのスマホの上から注いでみてというが応じてくれなかった。

2024年4月11日木曜日

75th誕生日、アウトレットモール、小説3冊

 誕生日となった。75歳にもなってしまった。今年は友人二人が癌で亡くなった。四捨五入すると80歳と言ったら、SuJuがそうじゃない、四捨五入すると棺桶というのが正しいと寂しきことを口にした。否が応でも残り少なくなってきている(であろう)人生を思う。

 5年ぶり、否、もっと久しぶりになるか、越谷レイクタウンのアウトレットモールに行った。近くではジーンズもまともに購入できないし、ついでに家の近くを歩くのはつまらないのでモール内をぶらぶらと歩こうかと車を走らせた。EDWINでブーツカットのジーンズとジャージジーンズを購入。連れ合いは探しに探してカジュアルのベストを買った。次はレイクタウン“風”か“森”の中を疲れない程度に散歩代わりにあるくのも良いかも。

 <逢坂冬馬 『歌われなかった海賊へ』(早川書房、2023年)>:1944年、ナチ体制下のドイツにおいて、ナチスに反感・抵抗する、グループとしては緩い規制のエーデルヴァイス海賊団。14~18歳の若者たちの体制抵抗活動の実存を初めて知った。親との確執、親をナチスに殺された少年の憤り、同性愛等々を後背としてナチへの抵抗をするエーデルヴァイス海賊団。それを語るのはかつて共に活動しバカと自称したフランツ。生きるために体制に迎合し、抵抗する者たちの歌を歌わず、戦後になって事実を暴くフランツに悪意を向ける庶民。
 エーデルヴァイス海賊団の心情は以下。すなわち、「私たちはそんなんじゃないのに、どうしてみんな、自分の都合で分かろうとするんだろうね」、「筋を違えたまま与えられる理解のまなざしほど、ぬるぬるして気持ち悪いものはない。私はあなたを分かっているよ、と頭上から注がれる声は、優しさに満ちているけれど、だからこそ反吐がでる」、「単色のペンキで塗りつぶそうとする」。・・・当時のナチ収容所では下向きの三角形を与えて区分した。黒=犯罪者、赤=共産主義者、紫=宗教的異端者、ピンク=同性愛者、上向きの黄色の三角形を重ねるのはユダヤ人。

 <永井義雄 『秘剣の名医16〉蘭方検死医 沢村伊織』(コスミック・時代文庫、2024年)>:売春をする女が連続して殺され胆が切り取られる。検死を依頼された伊織が謎ときに動き下手人を捕まえる。いつものように楽しめる長井さんの江戸時代小説。

 <藤澤清造 『根津権現裏』(新潮文庫、2011年)>:没後弟子を自称する西村賢太のおかげで広く知られるようになった1922年初刊の小説。金はなく、女には去られ、足に骨髄炎の病、同郷の友人の急死。我が身の不幸に悲嘆し嘆息が重なる。途中から読むのに堪えられなくなった。小説の面白さは芥川賞受賞という金字塔を立てた西村の方がはるかに優っている。

2024年4月4日木曜日

免許証更新、市役所

 車の運転免許証更新にすぐ近くの警察署に行った。視力検査も写真撮影も極めて短時間に終わり、孔の空けられた旧免許証、新免許証を受け取り、両者の自分の写真を見比べ、やはり年齢を重ねた顔写真ではあると感じ入ってしまう。まだまともに運転できるので、数日経てば75歳になるがこの免許証は手放せない。
 前日には車の半年点検にディーラーに行った。2年半の間でこの車を運転した総走行距離は4,200km強で極めて少ない。娘の長男がもうすぐに免許を取りそうで、この車を貸すことも多くなるだろうから、そうなれば走行距離も延びるであろう。

 数日前に連れ合いの国民健康保険証取得のために市役所で手続きおよび新規発行をしてもらった。新しくなった市役所を訪れるのはこれで2度目。前回は役所内の暗さを感じたがそれは調光メガネのせいなのかもしれないと今回は調光でないノーマルなメガネをかけていった。が、やはり同様に暗さを感じた。職員の人たちは採光のある窓際の、そして照明も明るい場所にデスクを構えているが、サービスを受ける側の訪問者側は壁際に沿っていて照明も暗い。通路は広くなっていいのだがそれが無駄に広いという思いもするし、何故だろう、テキパキとした明るい職場という印象は全く受けなかった。

2024年3月29日金曜日

友人と北千住および上野、読んだ本のメモ

 一昨日は友人のPC新規購入と設置フォロー。続いてこの日はメール関連フォローで北千住へ。WiFiフリーのコーヒー店を探すのに約1時間。その後約4時間を過ごす。前日の事前調査というか確認、およびその後の再確認でよく分かったことは、あるドメインのメールはwindows11の最新outolookに絡めると不具合が生じる。だから新しいoutolookへの導入要求がきても絶対に応じてはいけないこと。応じてしまうとwindows11標準メールの設定が壊れてしまいメールが出来なくなる。また、あるスマホの機種はLINEに適応できない。適応できないという表示は出ずに勝手に友だちが登録されたりするが実際は友だち登録はできないし、そもそもLINEが機能しない。パソコン・スマホ関連は面倒であることを改めて認識させられた。
 前段までは20日に書いたメモ。その1週間後に今度は上野で6人で飲む(といっても一人は宗教上の理由でいつものようにアルコールは飲まない)。前回の上野での飲み会と同様に五反野でSuJuと二次会。五反野は、これで3度目。店主とも少しは顔馴染みになったようである。昔の深酔いのせいで、最近の外飲みではwhooで居場所を監視(?)されている。そのせいでもないが、以前のように深夜の帰宅、電車乗り越しはないのであるが。

 <ヘザー・モリス 『アウシュヴィッツのタトゥー係』(双葉文庫、2024年/初刊2019年)>:フィクションとあるが、背景には忌まわしいアウシュヴィッツとビルケナウを往復する、強制収容されたユダヤ人に番号のタトゥーを入れるユダヤ人の物語。ドイツ人監督者との日常的接触、知り合ったユダヤ人女性との恋愛(戦後解放されてから結婚する)、死にゆく知人や多くのユダヤ人たち。いままで読んだユダヤ人ホロコースト関連のテキストとは趣の異なる内容であることに違和感のような思いも感じ、それでいてあの非道な歴史にどうしようもない憤りを思う。悲劇の歴史が何度も何度も世に現れるのはその本質は何も解決されていないし今も繰り返されているからに過ぎない。人間というのは豊かな感情と豊富な知識をもった残虐な動物集団でしかないのであろう。このような本を読むといつもやるせない気持ちになり、結局はこの世の中において、自分はそれらにどう向き合ってどう自分を見つめるのかということしか出来ないのではないかと思ってしまう。何も歴史的な出来事や今現在起きている世界の出来事だけではなく、国内の政治や、もっと卑近な様様な事象に対しても同じ事が言えるのではないだろうかと自問する。

 <シャーウッド・アンダーソン 『ワインズバーグ、オハイオ』(新潮文庫、2018年)>:「マーク・トウェインとヘミングウェイを架橋した名作、アメリカ文学屈指の重要作品を40年ぶりに新訳」と帯に書かれているがどうも倦きてくる地域に生きている人々の生活を淡淡と描くが、それがどうにも退屈である。描かれる人たちに共感もなく、近づきたくもなく、言ってみれば距離感を保って眺めるだけで、そのような人たちの個々の生活事情や暮らしてきた歴史には興味もない。でも、ウィスキーを嘗めながら心の中を空っぽにして文章を追えば柔らかな人間模様に触れて落ち着く時間もあった。

 <西村賢太 『雨滴は続く』(文藝春秋、2022年)>:「”最後の私小説作家”が、生命を賭して紡ぎ続けた畢生の大作1000枚」とあり、本作は『文學界』に2016年12月号から2022年4月号まで、不定期に連作され、最終回執筆途中にタクシー内で急逝した未完の遺作。ワンパターンの破滅的な身勝手な作者の独白と行動、それはひとえに藤澤淸造への祈りであり依存であり崇拝である。

 <森永卓郎 『ザイム真理教』(三五館シンシャ、2023年)>:財務省への批判。それは恰もザイム真理教と化したオカルト宗教のように、末端の人間から取れるものは取り、教団の中枢にいる幹部たちは贅を尽し、そこそこの知識人たちはザイム真理教のお題目を無批判に流布する、という日本経済に警鐘を鳴らす分かりやすい現在の日本経済テキスト。

 <辻堂魁 『雇足軽八州御用』(詳伝社、2023年)>:越後宇潟藩の竹本長吉(おさきち)は連座で故郷を放され、妻子を越後に残して江戸に来て関八州取締出役の雇足軽として八州を巡る。その先々での出来事に向かい合いながら人と接し、勤めを終えた1年後には越後に帰ることができた。江戸期の歴史用語がルビを振られて沢山出てきて辞書で確認しながら読むのが楽しめる。情景描写が多く、登場人物の内面描写が少しばかり欠けていると感じる。また、読点が多くて煩わしく、読むリズムが狂う。さらに形容詞の被せ方に違和感を覚えることも多かった。

2024年3月17日日曜日

雑記

 勤めていた会社の健康保険資格の喪失通知が届いた。4月の誕生日以降は後期高齢者医療制度の対象者となる。併せて連れ合いは来年の1月末まで国民健康保険に加入せねばならない。
 一方、免許証更新の通知も来た。否が応でも75歳の年齢を意識してしまう。4月に入って暫くするとその年齢に達してしまう。

 連れ合いの国民健康保険加入手続きの諸条件(受付可能時期、現保険資格喪失予定通知の有効性可否など)を確認しに市役所に行った。新しくなった春日部市役所に初めて入った。順番を待っている間に職員の人たちを眺めていると何故こんなに多勢の人たちが働いているのだろう、女性が多いなと思った。人数の多さは、業務量が多いのか、あるいは人数に合わせて仕事を増やしてしまってそれでまた人が増えたのかな、と皮肉っぽい思いが浮かんだ。

 というところへ後期高齢者医療被保険者証が届いた。改めて自分の年齢の重りを感じてしまう。

 ここ1週間ほどオーディオ関連で時間を潰した。ToppingのD10を購入し(安価になったD10Sではなく意識して旧タイプの高い方を購入)、合計4台となったDACとアンプなどとの組み合わせをいろいろと変えて遊んだ。安価なToppingではあるが性能はかなり高い。

 昔アイルランドのケルト音楽に夢中になっていた時期があり、ラ・ルー(Lá Lugh)のCDも2枚持っている。アルバムSenex Puerの中のA Bruxaが特に好きで何度も聴いた。最近また読書するときにアイルランドのエニスやサンフランシスコから直接購入したケルト音楽を流すことが多くなり、ラ・ルーの最近のアルバムはあるのかなとネットで調べたらエスナ・ニ・ウーラコン(Eithne Ní Uallacháin)さんが1999年に42歳の若さでなくなっていた。彼女が亡くなってから発売されたCDを偶然に見つけ、その中古CDをイギリスから購入した(Amazon)。タイトルはBilingua。じっくりと彼女の歌や演奏を楽しもう。

 高校同窓会の旅行や飲み会で一緒だったAkNaが11日に亡くなった。咽頭癌だったらしい。食道癌と聞いていたので転移したのかもしれない。昨年の8月にはISaと会津若松で普通に飲んでいたらしいので進行が早かったのかもしれない。今年にはいりTaYuに続いて二人がいなくなってしまった。複雑な気持ちになり寂しい。

 Norha Jonesの新アルバムを間違って2セット購入してしまった。恐らくは酔っていたときに予約発注をし、そのことをすっかり忘れてしまい白面の時に好きな人であるのでまた予約してしまったようである。しようがないので1セットは未開封のプレミアムをつけてメルカリに出品しよう。

 KiHiさんと久しぶりに新橋で会う。7~8年ぶりになろうか。1月に亡くなったTaYuとの親交があり3人で皇居ランを始めたのは2009年5月16日(土)。終了後3人で仲御徒町味舟で飲んだ。その味舟も閉店している。2010年5月30日(日)には山中湖ロードレースでも一緒に走っている。その2ヶ月前の2010年3月20日(土)にはINo女子が皇居ランに加わり、月一の定例会で何度も皇居を周回している。皇居ランが中止になっても恒例としていた忘年会を味舟で催していたことが懐かしい。

2024年3月14日木曜日

似てる人、漫画

 ブラザートムがドラマに登場すると友人のSuJuが頭に浮かぶ。同様に渡辺哲が出てくるとKoSaが浮かんでくる。財前直見さんがテレビ画面に見るとタカアンドトシのトシに繋がる。
 古い話になるが父はドラマ「事件記者」の清村耕次に似ているとよく言われていた。20歳頃のオレはバイト先の人に、“はしだのりひことシューベルツ”の井上博に似ていると言われたことがある。自分ではフ~ンそうかなと思っていた。
 上地雄輔とつるの剛士の区別が今も出来ないが、連れ合いははっきりと違うじゃないと呆れているが、先日友人と飲んでいたら彼も又オレと同じで二人を見分けることができないと言っていた。それを聞いて妙に嬉しかった。ある女優がドラマに出てきて今泉清さんの元妻だと口にすると、連れ合いからそれは違うと良く言われる、涼風真世が出てくると彼女もまた彼の元妻だと言う。これは正しいのだが、要は認識ができないのである。

 <星野之宣 『宗像教授世界篇 01』(小学館、2023年)><星野之宣 『宗像教授世界篇 02』(小学館、2023年)>:各地の遺跡をWikipedia 等で調べながら頁を追うのは楽しいし、地球上の歴史的事象を日本のそれに繋げることも面白い。しかし2冊で飽きたので続刊は恐らく手に取らない。

2024年2月28日水曜日

ワイン、漫画、尾崎翠

 テレビのドラマで、若い素敵な女性と普通の男性のカップルがレストランで食事をしていて,赤ワイン-こういうシーンではまず白ワインは出てこないのは何故だろう-を飲んでいた。そのシーンを思い出して急にワインを飲みたくなり、散髪に行った帰りに赤ワインを買ってきた。いつもの様にアルコール入り蒲萄ジュースと嘯いて昼食時に1本を空けた。眠くなって一眠りをして目が覚めたらどうも体調が芳しくない。勢いづいて日本酒4合瓶やワイン1本を空ける年齢ではなくなった、気持ちと肉体のバランスが崩れていることをここでも再認識させられた。かつてはウィスキーのボトル1本も空けた日があったというのに。

 <さわぐちけいすけ 『数学教師もげきはじめの考察』(Amazon 無料Kindle版、2023年)>:数学教師とあるので数学関連薀蓄漫画かと思ったら一般世間へ呈する主張であった。

 <尾﨑翠 『第七官界彷徨 琉璃玉の耳輪 他4篇』(岩波文庫、2014年/初出は別記)>:江戸川乱歩賞受賞作『蒼天の鳥』(三上幸四郎)で著者の名を知り購入。「第七官界彷徨」は1931(昭和6)年に雑誌に掲載された作品で、著者35歳の時である。「琉璃玉の耳輪」は1927(同2)年に書かれた映画脚本の草稿で1998年に全集に載せられた。他の4篇は「歩行」(1931年初出-以下同)、「こおろぎ嬢」(1932年)、「地下室アントンの一夜」(1932年)、「アップルパイの午後」(1928年)。
 一つの作品そのものの構成やストーリー展開として読むには少しばかり疲労を覚える。『第七官界彷徨』は秀作と言えようが、他の小説は昭和初期の時代を探る際のテキストとして読むには面白いであろうと思うだけである。
 それよりも、川崎賢子の解説に興味を惹かれた。尾﨑は日本女子大(中退)の寮の同室であった年下の松下文子と終生親交を重ね、「琉璃玉の耳輪」は松下の遺族が保管していたものである。松下は旭川高女の同期生であった井上みよりとも親しく交際していた。松下と井上も生涯親交していた。井上は東京女子師範(現お茶の水女子大)に進学し(中退)、同郷の阿部浅吉と結婚し、二人の間に誕生したのが安部公房。若かりしころに安部の小説をよく読んでいたので、この人たちの繋がりには深く興味を抱いた。よりみは安部ヨリミの名で『スフィンクスは笑う』(1924-大正13年)、翌年には阿部頼実の名で『光に背く』(1925年)を出版している。安部公房のwikipediaには、よりみは『スフィンクスは笑う』を上梓以後は一切の筆を折ったとあるが恐らくこの記事は誤りであろう。『光に背く』をネットで調べようとしたが図書館や古書店を含めても何も出てこなかった。ただ出版した洪文社は大正13年頃には確かに実在していた。